2017.09.19 Tuesday
若きいのちの日記 「愛と死をみつめて」の記録
健康な日を三日下さい ー 四月十日
病院の外に、健康な日を三日下さい。
一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。そしておじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。貴方と遊びたいなんて言いません。おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてネ。
三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びます。そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありがとうと笑って永遠の眠りにつくでしょう。
若くして不治の病いに冒されたら、あなたならどうしますか?
もう四捨五入したら五十代のオッサンなので、ちっとも若くないのですが、私なら、許される範囲で残りの人生を思いっきり楽しみたいですね。
心残りのないように。
それで、もし病いが消えてくれたら、まだ生きてやることがあるということ。
結局、死を迎えるなら、それは覚悟の上。仕方なし。もう、切り上げろとの指示でしょう。
検査はともかく、なるべく、手術や投薬治療は避けたいです。
ロックフェラーが弾圧しつつも、自分たちはその治療を受けているというホメオパシー等の代替医療はやってみる価値はあると思います。
しかし、そのためには家族を含めた周りの人達、西洋医学に洗脳された人達からの攻撃を上手くかわさなければならないかもしれません。
ひたすら瞑想して、衣を脱ぐように肉体を脱ぎ捨てられるレベルに達していたら、事前にその日時を近親者に伝えておけるので、死後の段取りもスムーズです。かなり厚かましい願いなのかもしれませんが。
輪廻転生を真実だと思っている私としては、人生ゲームの「振り出しに戻る」にノリとしては近いのかもしれません。
次のゲームは盤面が変わり、参加者も一変するでしょう。とはいえ、何度も別の人生で共にプレイしていた仲間なのかもしれませんが。
そして成長しない限り、また同じようなところで躓いて、前に進めないような気がします。
まぁとりあえず、この人生で学ぶべきことが学べたのなら、それは結構なこと。一歩でも、前世より前に進めたのなら、それで良いのです。
死は死で仕方ないこととして、そんなことより死んだ後どうなるかを知りたいものです。
本当にあるのかどうか分かりませんが、死後の世界で振舞われるという記憶を消すスープは飲まないようにしなければなりません。
そうすれば次の人生でこの実験結果が判明します。一生に一度のチャンスですから、楽しみにしています。
また、チベット仏教では死に際は、悟りを得て解脱する最後で最大のチャンスとされています。
宗教の突端は霊的技術の開発と継承です。
だから死後49日間(だったか?)、僧侶は遺体の耳元でボソボソと正しい道への誘導を呟き続けるのです。
顕教しか知らない一般信者には明かされることはありません。だから密教とか秘教と呼ばれます。
だから、いっそのこと魔術結社にでも入って秘教を勉強しようか?
などと余計かもしれない知識を持ってしまった今の私はとしては、死ぬのもなかなか面白そうだと思えてくるのです。不謹慎だと怒られそうですが。
いづれにせよ、ボロボロに腐って死ぬ(ネクローシス)のではなく、美しく枯れて死にたい(アポトーシス)ものです。
病院の外に、健康な日を三日下さい。
一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。そしておじいちゃんの肩をたたいて、それから母と台所に立ちましょう。おいしいサラダを作って、父にアツカンを一本つけて、妹達と楽しい食卓を囲みましょう。
二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。貴方と遊びたいなんて言いません。おへやをお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、おいしいお料理を作ってあげたいの。そのかわり、お別れの時、やさしくキスしてネ。
三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びます。そして静かに一日が過ぎたら、三日間の健康ありがとうと笑って永遠の眠りにつくでしょう。
若くして不治の病いに冒されたら、あなたならどうしますか?
もう四捨五入したら五十代のオッサンなので、ちっとも若くないのですが、私なら、許される範囲で残りの人生を思いっきり楽しみたいですね。
心残りのないように。
それで、もし病いが消えてくれたら、まだ生きてやることがあるということ。
結局、死を迎えるなら、それは覚悟の上。仕方なし。もう、切り上げろとの指示でしょう。
検査はともかく、なるべく、手術や投薬治療は避けたいです。
ロックフェラーが弾圧しつつも、自分たちはその治療を受けているというホメオパシー等の代替医療はやってみる価値はあると思います。
しかし、そのためには家族を含めた周りの人達、西洋医学に洗脳された人達からの攻撃を上手くかわさなければならないかもしれません。
ひたすら瞑想して、衣を脱ぐように肉体を脱ぎ捨てられるレベルに達していたら、事前にその日時を近親者に伝えておけるので、死後の段取りもスムーズです。かなり厚かましい願いなのかもしれませんが。
輪廻転生を真実だと思っている私としては、人生ゲームの「振り出しに戻る」にノリとしては近いのかもしれません。
次のゲームは盤面が変わり、参加者も一変するでしょう。とはいえ、何度も別の人生で共にプレイしていた仲間なのかもしれませんが。
そして成長しない限り、また同じようなところで躓いて、前に進めないような気がします。
まぁとりあえず、この人生で学ぶべきことが学べたのなら、それは結構なこと。一歩でも、前世より前に進めたのなら、それで良いのです。
死は死で仕方ないこととして、そんなことより死んだ後どうなるかを知りたいものです。
本当にあるのかどうか分かりませんが、死後の世界で振舞われるという記憶を消すスープは飲まないようにしなければなりません。
そうすれば次の人生でこの実験結果が判明します。一生に一度のチャンスですから、楽しみにしています。
また、チベット仏教では死に際は、悟りを得て解脱する最後で最大のチャンスとされています。
宗教の突端は霊的技術の開発と継承です。
だから死後49日間(だったか?)、僧侶は遺体の耳元でボソボソと正しい道への誘導を呟き続けるのです。
顕教しか知らない一般信者には明かされることはありません。だから密教とか秘教と呼ばれます。
だから、いっそのこと魔術結社にでも入って秘教を勉強しようか?
などと余計かもしれない知識を持ってしまった今の私はとしては、死ぬのもなかなか面白そうだと思えてくるのです。不謹慎だと怒られそうですが。
いづれにせよ、ボロボロに腐って死ぬ(ネクローシス)のではなく、美しく枯れて死にたい(アポトーシス)ものです。
若きいのちの日記新版 愛と死の記録 [ 大島みち子 ] |